上田は諦めた顔で、ぼそぼそと話し始めた。
「…彼女は僕とが2回目の結婚だったんですが、」
私は頷く。
「実は昨年…突然、子供がいる、と言い出したんです。」
私はよく理解できず、ぽかんと口を開けた。
「…妊娠した、ということですか?」
上田は首を横に振る。
「いえ、つまり、前の旦那との間に子供がいた、というんです。もう20代後半くらいの。」
私は予想外の展開に顔をひきつらせた。
上田は続ける。
「そんな話…私は聞いたこともありませんでした。むしろ、子供はいないと嘘を聞かされていたんです。
それだけでも私は十分動揺しましたし、なぜ黙っていたのか問いただしたくもなりました。」
『問いただしたくもなりました』?どうにもこの人は歯切れが悪い。
「そして…何を思ったのか、その子を探し出すことにした、と。」
陰鬱な空気を放ちながらしゃべる上田を私は瞬時に止めた。
「ちょっと待ってください。探すってどういうことですか。」
上田はそこで私を見た。
「そのままの意味です。その子はどこにいるのか分からないらしくて…彼女は探す、と。」
私はやはりぽかんと口を開けて固まっていた。
「その子とは…あ、娘らしいんですが、幼いころに別離したみたいで。今の居場所はさっぱり分からない。」
「畑本は引き取ってなかったんですよね…?私が調査した時は…そんな子供だなんてまったく出てきませんでしたけど。」
上田はため息をつきながら頷いた。
「えぇ、畑本も引き受けず、彼女も引き受けず…。真相は知らないのですが、きっと施設か何かに入れられていたのではと思います。……ただ、私にはそのことがどうにも受け入れられなかった。まず子供がいたことに驚き、その子供を夫婦そろって育てることを放棄している。そうかと思えば、突然探し出すと言い出した。私にはあまりにも唐突すぎて理解できなかったんです。」
「でも、どうして突然探し出すって言い出したんですか。」
「そこが分からなかった。だから、さすがに私も問い詰めたんです。私にわかるように説明してくれ、と。そしたら、」
上田は突然怯えた目を私に向けてきた。
「そしたら、彼女が『あの子が夢に出てきた。毎日夢に出てきては私を追ってくる。そして私は川のほとりに追い詰められて、最後には首をつかまれそのまま水に沈められる。』…と。つまり、自分の娘に殺される夢を見ると言うんです。」
私は思わぬ展開に混乱していた。そして、喉がカラカラに渇いていることに気付いた。
私は再びお茶をついで、一口飲んだ。
「なぜ、…殺される?」
上田は相変わらず怯えた表情のまま話を続ける。
「そうです。ある日から突然その夢を見始めたというんですが、いつも夢の最後では娘に殺される。そうするうちに、彼女はその子に会って謝らなければいけない、と思い始めたんだそうです。『きっとあの子は私を憎んでいる。復讐に来たんだ』と。」
復讐…
「それで、探し始めたわけですか。」
上田は顔を曇らせた。
「探し始める予定でした。でも、その前に彼女は崩れてしまった。」
崩れた…?
「彼女は本当に、夢の中で娘に殺されてしまっていたんです。」
なんだ、この重い空気は。
「彼女は精神が病んでしまった。夢の恐怖で、眠ることができなくなりました。そして、その恐怖は起きているときにも彼女を襲うようになり、ついには、全ての物に怯えるようになってしまいました。」
蝉が鳴きやんだ。
「彼女は今も入院しています。たぶん、もう二度と出ることはないんだと思います。」
沈黙が重たかった。私は精一杯声を絞り出した。
「だからって…離婚をする必要はあったんですか。あなたは彼女の面倒を最後まで見ようとは思わなかったんですか?」
上田は穏やかな表情に戻り、静かに私を見た。
「秋成さん、あなたは知らないんです。それは綺麗事というものですよ。彼女はわたしのことさえ分からない。みんな、彼女の命を狙っている娘に見えるのです。彼女は見た目はそのままであっても、彼女ではないんです。」
上田はそれ以上彼女のことは語らなかった。私も聞こうとは思わなかった。
最後に、上田は少しだけ笑いながら
「これで、私は殺されずにすみますかね。」
と言ったので、私はどうにも申し訳ない気分になってしまった。
十分すぎる理由だ、と思った。